永田獅子旭連

2008年ちば遺産100選に選定された、大網白里市無形文化財 永田旭連の獅子舞。
ちば遺産となった、この「永田旭連の獅子舞」の活動を追いかけていたが連中として迎えられメンバーとなった。

旭連の獅子舞の起源は、宿が二度も火災にあったために記録はないが、戦国時代もようやく終わり平和の光が映しはじめた慶長年間に隣村萱場(現在の茂原市萱場)から伝わったといわれている。

農民は領主に上納する年貢米を作るために生きているようなもので、何よりの慰めであり、楽しみであり、徳川中期頃に至って、泉・根永田・新田(現在 の永田三・四区)等の若者の間に立派な郷土芸能として根をおろすようになり永田村の芸能として老若男女総ての者から応援されるようになったのが徳川文化の 最盛期元禄の時代、元禄十三年 上総国永田村の総鎮守として、矢口神社が小中村本社から分宮して永田村富谷に建立される。その落成式(開眼)の折に、永田村年番・名主ほか、村民などが列 席の上、御神前にて獅子舞を奉納したのが公式に永田村の芸能として認められた最初である。以来、旧暦一月十一日、九月十九日の春秋二回の祭典には必ず御神 前にこの獅子舞を奉納されて今日に至っている。

現在は1月の第2日曜日、10月の第3日曜日に変更されている。獅子舞を主とした演目(牡丹に獅子)平獅子は布舞、幣束の舞、鈴の舞、剣の舞。連獅子は四つ足、梯子のぼり、蛇がかり、玉取、お染獅子、鳥さし踊り、中山踊り、ばか踊り等豊富である。

『獅子囃子』
布舞、幣束、鈴の舞、剣の舞、四つ足、鏡台持、へび、亀の子、くるい、大ぐるい、お染の鈴、子守唄、かぞえうた等。

『お囃子』
一声、四丁目、とおり、かまくら、なかやま、きつね、とうじん、やたい、にあがりおかざき、えちご、おいまわし、鳥さし、ばか、ふりこみ等。

「旭連の名称由来」
昔、泉・根永田。新田等の部落を永田村表郷と称した。
表郷であるから最も早く朝日のさす土地である。その理由から旭連中の名が生じたものと思考する。

「剣葵坂下(剣の舞)由来」
初代肥後大掾藤原越前康継大和国千手院の末流広長の子近江国坂田郡に住み下坂左衛門と言う。はじめ結城秀康に召し抱えられたが、慶長八年駿府で徳川家康の為鍛刀期屈指の名工であった。
この剣葵坂下により県内外より悪魔祓にたのまれて昔から現在も、剣の舞で悪魔を祓ってきている。

資料・大網白里町文化協会会報 昭和61年10月25日号より

平成25年1月1日より 大網白里町から市制施行し大網白里市となり市のホームページに永田獅子旭連の舞が掲載される。
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